不安なときに頼るもの
さて、毎日暗いニュースが流れている昨今です
各宗教団体は信者獲得のチャンスと盛り上がっているのではないでしょうか!?
人間は弱いものでちょっとしたことで不安になるものです
俺は大して不安にならない
そう言っている人だって火事が足元までくればみんなビビります
対岸の火事だからこそ大口を叩けるわけです
そう言っているぼくも楽観的な考え方なので基本的には何もビビらない
ウイルス問題だってかかったらその時はその時くらいに思っているし、人間いつか死ぬんだからなにみんなそんなに慌ててるんだろう(;´Д`)
そのくらいに思っている
それでも、本当にウイルスにかかったり、家族に症状が出たら神に助けを求めるほど弱くなります
人間なんてそんなものです
不安と宗教
そんなこと言われたって不安なんだー(ノД`)・゜・。
はい
よくわかります
でも大事なこと
パニックになっても最も大事な部分は変わらないということ
例えばよ??
あなたが癌を宣告されたとしよう
んで僕がそこら辺に落ちている石をあげたとしましょう
『どーぞ(*’ω’*)
石です
これで癌治りますよ♬』
中には信じちゃう人もいるかもしれないww
でも基本的には信じないですよね??
宗教団体とは、そこら辺に落ちている石ころと同じようなもの
そのもの自体に力はない
現実的に言えば石ころは無害なので後々を考えれば石ころのほうが価値があるのかもしれません
こういう風に書くと怒る人も多いと思いますが、
宗教とは神聖なもの
そういう固定概念がいっぱいに詰まっているのでしょう
落ちている石ころに向かってこれは役に立たないからなぁ( ˘•ω•˘ )
こう言っている人に怒る人はいるでしょうか??
宗教と言うと何か神秘的なものを想像しあたかも力があると錯覚してしまいますが、大事なことは宗教に力があるのではなく、信じる心に力があるのです
信じる心??
(;´Д`)??
見えない力
世の中はスピリチュアルと相対性で出来ています
なので宗教と言うものに物理的な力はなくともスピリチュアル的な目線で見れば信じる心には相当な力があります
この世界は重力で成り立っていますが、それは物質的な重力とスピリチュアル的な重力に別れ、それはお互いに交わりながら現実世界を作っています
そういう意味で言えば真っ向から宗教を否定するのもいかがなものかなぁ( ˘•ω•˘ )
とも思います
しかし、宗教を動かしているのはあくまでも人間だということを忘れてはいけません
そして人間は欲深い
あるものはお金に走り
あるものは組織に依存し
あるものは自分の正しさを主張しようとする
宗教自体は力はなくとも哲学的な学びは多くある
しかし、人間が扱うことによってその力のない宗教は人間の欲望の方向へと力を発揮していきます
僕自身宗教にハマっている時はたくさんの自分を押し込めて宗教団体の意向を最優先していた
これが果たして本当に幸せなのか??
結果得たものは宗教団体に所属している仲間と、その宗教の教えと言う知識だけでした
そして退転すれば所属していた仲間とは一切連絡を取ることも無ければ、むしろ裏切り者のレッテルを貼られるという始末
仲間でもなんでもない
ただの教祖様のために集まったバラバラの人間の集まり
宗教とは見えない力
不安を餌に、信じる力と言うスピリチュアル的な重力を使った詐欺だということ
今は本当に不安ばかりが先行する世の中ですが、宗教団体を祭り上げるのではなく、自分自身
そしてその周りに集まってくれた、ひとりひとりのいのちをしっかりと信じて乗り越えていきたいですね
最後まで読んでくれてありがとうございます
宗教論については徐々にこちらのブログでも書いていきたいなぁと思っています
当時はネットが普及していなかったことあり、若輩者の僕はかなり遠回りな人生を送ってしまいました
それでもぼくの経験がネットを通して誰かの人生のお役に立てればとブログを書き始めました
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