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vol.35 学校中を折伏しまくる

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顕正会物語
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いっちー
いっちー

いっちーと申します

僕は高校生1年生のときに初めて宗教の話を聞くことになりました

 

その宗教の名前は顕正会。。

 

最初は嫌々はじめましたが、22歳でやめるまでの青春のほとんどをつぎ込むことになりました

このブログは当時の自分自身の心境や心の実話をもとに伝えていきたいと思っています

 

そして、大人になったいっちーの

宗教とは人生とはいったい何なのかということを深く掘り下げていきたいと思います

 

 

 

私立高校だったということもあり、電車で学校に通っていたので地元と高校の友達のつながりは弱く、地元で僕のうわさがどんどんと広がっていっても高校では普段通りの生活が送れていた

 

しかしこの頃すでに何百人という人に折伏をしてきた僕はついに高校も視野に入れ折伏をしまくることになる

 

 

 

折伏というのは逆縁(入信しないこと)だった時に相当強く入信をっ迫っていくため、相手がひどく怒ったり傷ついたりすることは少なくない

話は分かったけど興味ないからやらないですよと言われ『はいそうですか』というわけにはいかない

これには2つの意味があって、、

顕正会というのは数字に対して執着がすごい

これは浅井会長が数字を目標に指揮をとるからだ

なので顕正会の中で一番の花形が入信者をだすということなのだ

 

そして、これだけだとただの家畜のようになってしまうのでやらないという相手に食らいついていくという行為に理性としての面でも理由が用意されている

 

そもそも折伏とは、あんたそのまま行くと地獄に落ちちゃうからこっちにおいで

仏様のを教え通りお経を唱えれば成仏できるよ。と言っているのだ

つまり、地獄からの救済処置として折伏をしているということ

今の人生80年としたって、もし無間地獄に落ちれば682京1120兆年も耐えがたい苦痛を受けることに😱

 

これを信じた人間が折伏をする側なんです

そりゃあしつこくなりますよねww

まぁ682京1120兆年とか言われてもピンとこないですし、これを本気で信じてたら相手がやらないって言った瞬間に相手の未来を考えただけでこちら側の精神が崩壊してしまいそうですけどね(;^ω^)

 

 

2つの見方があってこんな大変な地獄からの救済活動をしているという相手を想う慈悲の心と、こう言った教義があるから大義名分ができたという自分を守ろうとする気持ち

両方実際にあると思います

ただ、顕正会の悪い癖と言いますか、、

浅井会長バンザイがかなり上位にあるので、折伏をドンドンと重ねていくと最終的に縁の薄いところに行ってしまうんですよね

それこそ折伏をするために知りあいを作る的な(;´∀`)

そうなると相手の事なんてあんまり思えないというのが本音です

そこまで来ると対象者(折伏相手の顕正会員の中での隠語)としてしかみていません

今月の法戦の1名の礎でしかありません

 

 

 

 

 

学校中にうわさが広がる

 

こうした折伏をやるにあたって、入信こそすれば最後に相手の意向も聞きながらの和解的な別れができますが、逆縁だった場合は相手が怒って帰るか、数時間の討論の末頑なにやらないという場合位でしか終わりになりません

 

つまり何を言いたいのかというと、、、

 

仲が悪くなっちゃうわけですよ(=_=)

 

そして、、、

 

高校一緒ですからね、次の日も会うんですよ

ケンカ別れした相手と

 

僕もそんな相手と会うのは気まずいし、相手も同じように気まずいでしょう

実際に折伏をした後に数日間相手が学校を休んでしまったこともあります💦

 

ちなみに、僕は高校生の時にヤンキーという立ち位置と、人気者という立ち位置でやらせていただいておりました

今は高校2年生になりクラスに友達もいない浮いた存在になっているとはいえ高校1年生の時に全クラスにいってはしゃいでいたのでちょっとだけ威厳は残っていたようでww

僕相手に直接何か言ってくるような奴はあんまりいなかったんですよね

(実際には2~3回直接お前何してんの??的なことを言われたが)

でも、自分のいないときにクラス中が僕の話になっていることは感覚でわかるんです

まぁ、前日にクラス中に名簿片手に電話してますからね

直接言えない僕もチキン極まりないですね( ;∀;)

 

 

多勢に無勢すぎるんですよww

顕正会員オレvs一般生徒数百人ですから💦

もう、噂が怖くて仕方なかったんです( ノД`)シクシク…

 

 

当時はこんな簡単な気持ちじゃなかったですけどね

本当に複雑な気持ちが散漫としていて、、、

 

 

この頃の僕は毎日学校を遅刻して行っていてだいたい4時間目か5時間目になって行っていたんです

授業中に教室をガラッとあけるとクラス全員の目が一斉にこちらを向き隣同士でこそこそと会話をしだす

休み時間もだれ一人俺に話しかける人はいない

俺も本当にどうしていいのかがわからなかった

ただ学校に行って過ごすことだけでも相当頑張っていたんだと思う

 

 

 

 

 

こういうこととかってさぁ、うわべで聞いてこう思うとかああ思うとかって色々と出てくると思うんだよね

だけどさ、当時の心境や思い出にもならないような些細なことが積み重なっての過去だと思うの

 

俺だって今になればいろいろと出てくる

ただ、本当にこの時やっていたことは全部が精一杯のことでその積み重ねが過去になっているということ

だから自分を恨みたくもないし、これからをこんな過去に負けずに精一杯生きていたい

失ったものはあまりにもデカいんだけどね、、、

 

 

 

 

 

いっちー
いっちー

最後まで読んでくれてありがとうございます

 

宗教論については徐々にこちらのブログでも書いていきたいなぁと思っています

当時はネットが普及していなかったことあり、若輩者の僕はかなり遠回りな人生を送ってしまいました

それでもぼくの経験がネットを通して誰かの人生のお役に立てればとブログを書き始めました

応援よろしくお願いいたします

 

 

 

 

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