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vol.43 顕正会員をやめることになったきっかけ

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顕正会物語
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なんか本編とか、もう脱線しまくりで読みづらいブログになっていると思うんだけど、書きなぐるようにパソコンを打ちますww

こういうほうが文章デタラメでも気持ち伝わると思うから、、、

 

 

 

僕は顕正会員としては全くもってエリートというわけではない

最終役職も班長止まりだし、正直な話し勤行を朝晩欠かさずに続けられたことは4日くらいが限界だろう

2~3日に1回くらいはやらないというww

それでも人一倍心だけは熱かったということもあって折伏だけはなぜか毎月優秀班として新聞に載るくらいはこなしていた

 

 

もともとだらしがないということと、何回かブログでは書いているんだけど毎日欠かさずにやるということ自体が無茶苦茶苦手なこと

宗教ってかっこ悪い

人に話をして嫌われるのが本当は嫌だ

そして大事な友達が実際に離れて行ってしまったことなど

まぁ、単純に嫌いだったんだよ

お経を読むのが、、、

 

 

天邪鬼なのか、やる時は誰よりも丁寧にやるんだけど(;^ω^)

 

 

 

そんな感じで全くのエリートではない顕正会員である僕は寝坊してそのまま電話に出るのが嫌でバックレたり、総幹部会に行く電車には乗るんだけどなんか行く気になれなくて最後の隊ごとの集まりだけ参加するなど、まるで会社に行きたくないサラリーマンのような(笑)

 

 

 

まぁガキだったということにも甘え沢山手をかけた存在であることには変わりないわけで、、、

 

 

そんな僕が顕正会員として過ごしたのははっきりとは覚えていないんだけど高校1年生の夏の終わりくらいから22歳くらいまで

入った時や高校生活でのことはわりと思いだせるんだけど、どうもなぜ辞めたのかがはっきりと思い出せない

 

 

 

当時を思い出しながら書いていくね

 

 

 

確か22歳の時、僕はもうすべてを失っていたんだよ

遊ぶ友達はひとりもいない

バイトなどで出会ってちょっと仲良くなっても折伏をして結局離れていく

相手が入信しても、やっぱり遊ぶことはダメ

信心に関係ない、カラオケに行ったり映画を見たり、デートをしたり、、、

ダメということはないんだけど、まわりにやっている人がいなかったし法戦が近づくにつれピリピリとした空気になっていくからね

おまえそんなことしてる暇あんのかよ

日本には時間がねぇんだよ的なww

 

 

 

そういえば唯一甘くみられる日があって、法戦の最終日が終わった次の日はゆっくりと好きにさせてくれたんだ

会館に勤行だけしに来いよ的なくらいで自由時間が与えられた感じ

そして総幹部会が確か最終日の2日後??くらいにあってそこで浅井会長から次の目標(誓願)が言い渡されてからまた戦に戻る感じっす💦

 

 

 

もともと、僕は顕正会に入る前何ひとつとして悩みのないリア充でしたからww

大事な友達が地獄に行ったら大変だ

自分自身だって無間地獄に行きたくはない

それだけが原動力だったんだ

イシイさんのことは兄貴みたいな存在だったし、総支隊長のことは本気で人間的に惚れていた(当時常に考えていたことはこの総支隊長が一人ついていてくれれば俺は族100人にだって向かっていけるとww)

だけど、やっぱり大事なのは友達だったんだ

 

 

どうでもいい話だけど、友達がヤクザに呼び出されたときに俺一緒に行ってやるって言い切ったからね

 

 

あいつらの為だった俺はどうなっても構わない

それを原動力に孤独ながらもただひたすらに仏法へ向かっていった

 

 

しかし、、、

 

 

俺は本当に孤独になっちゃったんだ

 

 

そんな僕のモチベーションが保てるはずもなく、だんだんともうどうなってもいいやという気持ちだけになっていってしまったんだ

 

 

折伏の対象者もドンドンと縁の薄い派遣で知り合った1回しかあっていない人とか、幼稚園名簿の顔も名前も覚えていない人とかww

相手を想うことも出来ずにただただ広宣流布への人数を増やすということを頑張るのはしんどかったんだ

 

 

 

22歳で車の免許もなくって、仏法優先に就職活動もせずにバイトだけで過ごしていつっ来るであろう広宣流布のために人生を使おうと

それまでなんとか頑張ろうと、、、

 

 

そして22歳の時にようやく車の免許代を貯めて免許を取ることになった

このこと自体は免許があれば折伏にも役立つからと許可を経ていたが、僕はさらにやりたいことがあった

合宿での免許を取りたいと言ったのだ

なんかもう自由になりたかったという理由はデカいんだけど、合宿での免許憧れていたのだ✨

実際合宿のが安いしね(‘ω’)ノ

そして許可を何とかもらったんだけど、なんと場所が行田ww

行田って知ってます??

埼玉の熊谷のそばなんだけど

なぜ行田なのか??

総幹部会に参加できるようにだそうです😭

 

 

 

いったい俺のプライベートはどこ行ったんや( ゚Д゚)

自由がない自由がない自由がない!!!

ここらへんからちょっともう無理なのかもと鬱っぽくなってきたんだと思う

まぁ20歳くらいからちょい孤独で苦しかったんだよね

 

 

 

ちなみに免許は行田でとりました(*’ω’*)

 

 

 

そういうもろもろがあったこと、

確か時系列があっていると思うんだけど自分の直ではないんだけど支隊長が突然とんだんだよね

自分が入信してからも勿論中には先輩がとぶということはたまにあったんだけど、かなり知りあいである支隊長がとんだのは初めての経験だった

顕正会って隠ぺいと言うか上の情報って触れるなという無言の圧力があるんだけど、こうした突然に支隊長がいなくなる理由も聞けないのは不信感が募った

そして、昨日まで○○支隊長とおべっか使っていた先輩方が退転した瞬間にあいつや、裏切り者呼ばわりすることが本当に気持ちが悪かったんだ

 

 

 

ちなみに、この隠蔽体質で言えば浅井克衛元男子部長が突然に表からいなくなったことは顕正会の中では有名なできごとだが、この理由や真実は誰も聞かないし聞けないことなんだ

もし普通の組織であるならば仮にもナンバー2のことである

普通なら何かやらかしたとしても他の会員が心配しないようにきちんと説明するのが筋であろう

 

 

男子部長が変わった

何の説明もなくある日突然にそうなっただけ

 

 

マズいことがなければ普通訳を言うよね??

 

 

 

こうしたことが不信感でいっぱいになった

 

 

 

自分の中では遠い雲のような存在であった人が突然いなくなる

そしてあいつ呼ばわりされる(克衛元男子部長はあいつ呼ばわりはされていないけど話はタブーとされている)

この人たちは自分とは違ってちゃんとに朝晩勤行をやってたんだぞーーーー(失礼ですまんww)

 

 

 

もう色々と疲れちゃったんだ

 

 

もういいや

 

 

俺には何もないし

 

 

罰でも地獄でもいい

 

 

苦しいんだ

 

 

僕は段々とバックレるようになっていき何も言わずに退転をした

数日間電話は鳴り響き、いつしか電話はならなくなっていった

 

 

 

 

 

この後、数回会館に行くことになったり、イシイさんと数回会うことになったが僕の顕正会員としての活動はここで終わることとなる

 

 

 

 

僕は結構頭で考えるほうなので、人がすごいと言ったから信じてしまうというようなことはほとんどないんだよね

なので、ここでやめていなかったとしても今現在も続けているということは100%無い

もともと、広宣流布は僕が32歳の時にはすると思っていたしね

ちにみに今は36歳ww

 

 

 

全部自分の意志で始めたこと

入る時も、初めて人を勧誘するときも本当に本当に悩みながら自分できめてやったこと

だから今ある自分は受け入れるしかない

ただ、今でも思う

もしあいつらが隣にいてくれたら俺の人生はどんなに心強いだろうかと

 

 

 

 

俺は今でも高校生の面影を追いながら生きている

 

 

 

 

 

 

 

 

いっちー
いっちー

最後まで読んでくれてありがとうございます

 

宗教論については徐々にこちらのブログでも書いていきたいなぁと思っています

当時はネットが普及していなかったことあり、若輩者の僕はかなり遠回りな人生を送ってしまいました

それでもぼくの経験がネットを通して誰かの人生のお役に立てればとブログを書き始めました

応援よろしくお願いいたします

 

 

 

 

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