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vol.15 折伏をやろうと言われる

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顕正会物語
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いっちー
いっちー

いっちーと申します

僕は高校生1年生のときに初めて宗教の話を聞くことになりました

 

その宗教の名前は顕正会。。

 

最初は嫌々はじめましたが、22歳でやめるまでの青春のほとんどをつぎ込むことになりました

このブログは当時の自分自身の心境や心の実話をもとに伝えていきたいと思っています

 

そして、大人になったいっちーの

宗教とは人生とはいったい何なのかということを深く掘り下げていきたいと思います

 

 

 

高校一年生の12月くらいのことである

イシイさんに折伏をやろうと言われる

もちろん断固拒否である

理由はいっぱいあるが、まず第一に信じていない

この頃になると完全に疑っているというわけではなくなっていた

なぜなら事あるごとに良いことがあると功徳だと言われ、悪いことがあると罰だと言われ(勤行は朝晩出来ていないため)勤行をやって悪いことがあると罪障消滅だと言われた

 

僕は何でも疑うほうで、人の言うことをそのまま信じるような人間ではない

それでも、周りの人間がみんなしてこういうことを言っているとそうなのかもなという気持ちにもなるものだ

加えて僕の宗教に対する勝手なイメージは真面目でちょっと気持ち悪いオタクのような人が多いと思い込んでいたが顕正会にはどちらかというとヤンキーや若者が多かった

宗教をやりそうもない人たちがみんなやってみて凄いと言ってるのだから何かあるのだろう??くらいには思い込んでいた

 

 

加えて、体験発表を聞いては例えば目の見えない人が見えるようになったとか、耳の聞こえない人が聞こえるようになったとか、、

こういったことって信じれば叶うってわけじゃないじゃないですか!?

話している人が嘘をついているかこの顕正会の仏法が本物なのか、どちらかしかない

僕はそう勝手に思い込んでいた

大人になって、こういった体験がなぜ起こるというのかを考えればプラシーボ効果や体験の内容を少し盛っているのかななど思うところはある

プラシーボ効果とは思い込みで身体の治癒力が上がることを言うが、人間のカラダというのは不可能を可能にしていく力というのは潜在的に眠っているものだと知った

 

 

まぁ当時の狭い見識では自分事としてはいまいちよくわからなかったが、それは朝晩の勤行をしていないせいであって、まじめにやっている人たちが功徳をしっかりと感じているという言葉を口々に言う環境に身を置いていると自分の正しさ以上に教科書をそのまま信じてしまうような感覚になってしまうということだ

 

 

それでも、そんなレベルの信用度で人様に嫌われること間違いない宗教のお話をするなんてことはあり得ないことだし、恥ずかしいことだと心より思っていた

しかも、勤行すれば成仏できると言っていたくせにこの頃になると勤行と折伏だと言い出す

今は顕正会員の心理状態は手に取るようにわかるが当時は疑いながらも半分信じてしまっていた

この少し前に地元のヤンキー集団からボコボコにされ地元で隠れるように生きなくてはいけない時期があったということも大きく関係していると思う

 

 

 

とにかく、僕は絶対にやらないと言い切っていた

 

 

 

今にして思えば、顕正会には絶対に入らないと言っていた僕は顕正会に入り、事務所には2度と行かないと言っていた僕が7こうして事務所に通うようになってと、僕は流されやすいタイプなんだと思う

さらに、流されやすいくせして自分の意志決定をしているつもりになっていることがたちが悪いと言える

 

 

こうして、勤行にプラスして折伏という流れが僕の身に迫ってきた時代であった

 

 

 

 

いっちー
いっちー

最後まで読んでくれてありがとうございます

 

宗教論については徐々にこちらのブログでも書いていきたいなぁと思っています

当時はネットが普及していなかったことあり、若輩者の僕はかなり遠回りな人生を送ってしまいました

それでもぼくの経験がネットを通して誰かの人生のお役に立てればとブログを書き始めました

応援よろしくお願いいたします

 

 

 

 

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